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リビングで

2012-03-26

前にも書いたのですが、叩かれる道具はほとんど50㎝の竹の物差しでした。
平手で叩かれた記憶は小学校低学年のころしかありません。
叩かれる時、たまに自分で物差しを持ってくるように言われる事もありました。
その時はリビングにある電話置きの引き出しの一番下から物差しを自分で取り出し、母に渡さなければなりませんでした。
母はリビングの床にお膳座りをしたままそれを受け取り、「ほら!」と目線で床を指します。
そうしたら僕は床に膝をついて、自分でズボンとパンツを下ろし、膝を立て、母の方へおしりを突き出さなければなりません。
その後すぐに物差しが鳴る時もあれば、しげしげその格好を眺められたあと、ゆっくりと打ち下ろされる時もありました。
竹の物差しは痛みもそうですが音もかなりのものです。
部屋中に鳴り響く感じです。
母もそれを知っているのか、おしり叩きのときは必ずと言っていいほどテレビを消されてました。
テレビが消されると、リビングは異空間のように静かになり、テレビを見ていた姉や妹も必然的に僕に注目するようになります。
そしてそのしんと静まりかえったリビングで僕のおしり叩きの音だけが響くのです。
パチッ!パチッ!と10分くらいのおしり叩きが終わって、説教の後、テレビが再度つけられると、リビングがテレビの音と共にパッと現実の空間に戻ったような感覚がします。
母も家事に戻り、姉や妹もテレビを見出して、僕だけがおしりの痛みの余韻をしみじみと感じているのです。

発毛後のおしり叩き

2012-03-24

おちんちんに発毛したのは中2の2学期でした。
産毛みたいのがタマタマの方に生えていたのです。
それを見たときほんとにびっくりしました。
自分の身体がどんどん大人になっていくのに抵抗も感じました。
そしてなりよりも、おしりを叩かれる時に発毛を見つけられると恥ずかしい!というのがありました。
よって、いつも剃っていました。
風呂場に父の髭剃り用のカミソリとクリームがあったのですが、申し訳ないことにそれでおちんちんの毛を剃っていました。
そのころもおしり叩きをされていたのですが、どうも母は僕がおちんちんに発毛したらおしり叩きをやめるつもりだったのかもしれません。
年頃の娘たちも見ているので、
「大人のおちんちんになったら終わり、でも子供のおちんちんのままなら容赦しない」
そんな考えだったかもしれません。
おちんちんに対するチェックが厳しくなったような気がしたのもその頃です。
おしり叩きの前にパンツを脱いだ格好で気を付けして「ゴメンナサイ」を言わされたり、おしり叩きのときに微妙に足を広げさせられたり、おしり叩きの後、立てひざで反省の言葉を言わされたり、どうもその時におちんちんの発毛をチェックしていたようなのです。
中学生になってからは、お風呂に入るまで制服のままということもあったので、制服でおしりを叩かれる場合、ワイシャツがかなり垂れ下がるため、脱がされることもありました。夏場などは、下のシャツを着てないときもあったので、その時は上半身は何もない状態でパンツを下ろすことになりますから、ほとんど全裸の状態でおしり叩きを受けることになります。その時は顔が火照って耳まで赤くなるくらい恥ずかしいのです。姉たちは手を叩いて笑っていましたが、その恥ずかしさはたまらなく、その為なるべく下着のシャツはつけるようになりました。でも露出の気も芽生えていた僕にとって、たまにその格好でおしりを叩かれたいと思うこともありました。そんな時は下着のシャツをつけず、ドキドキしているのです。

精通経験後のおしり叩き

2012-01-22

中学生になってもおしり叩きの罰は継続していました。
オナニーを覚えたのが中一の時です。
しかしそのころもおしり叩きの罰はありました。
初めてオナニーを経験して(精通を経験して)最初のおしり叩きはとても恥ずかしかったことを覚えてます。
パンツを脱ぐように言われた時も、少し躊躇しました。
「早く脱ぎなさい!」
その言葉にせかされ、パンツを脱いだ瞬間、母、姉の視線がおちんちんに即向いた気がします。
今から考えると、僕の発毛を確認するためだったかもしれません。
しかし僕はまだ発毛はしていませんでした。
母は少し安心した感じでおしり叩きが始まったような気がします。
しかし僕にとっては、精通を経験したおちんちんを母や姉、妹に見られるのがとても恥ずかしかったのです。
なにか、僕のオナニーを見透かされているような、
女性には、精通を経験したおちんちんは見てすぐ判るんではないか?
みたいな、変な気持ちになった事を覚えています。
その時のおしり叩きは、おちんちんの先までしびれるような痛さでした。
おしりとおちんちんとがつながったような感覚でした。

初露出・・みたいなもの

2012-01-06

「オチンチンを見られたい」みたいな欲求は小学校高学年の頃から芽生えていきましたが、
初めて、「露出」みたいなことをやったのは中一のときです。
そのころマンションに住んでいたのですが、夜の8時くらいでしょうか、自分の部屋にいたとき、ふと向かいのマンションを見ると、女の人がベランダで掃除かなにかしているのが見えたのです。
その時なぜか、「オチンチンをあの人に見られたらどうだろうか」なんていう考えが思いもよらず浮かんだのです。
何でそんな気持ちになったのか判りませんが、僕は自分の思いつきにドキドキして、カーテンを全開にして、ズボンとパンツを下ろし、窓際に立ったのです。
その頃はまだ精通もなく、オチンチンに毛すら生えてませんでした。
母からまだおしり叩きを受けていた頃です。
10分くらいした後、その女の人が僕に気づいたような気がしました。
顔を明らかにこっちに向けて、ずっと作業をしてました。
窓拭きのような事もしてました。
30分くらい続いた後、女の人は作業が終わったのか、今度はバルコニーに身体をあずけて、じっと僕の方を見始めました。
「やっぱり見られてる」と思うとすごくドキドキして、自分の方からカーテンを閉めてしまいました。
それが僕の初の露出体験になりました。
その女の人から見ると、子供で毛も生えてない僕のオチンチンはどんな風に映ったのでしょうか?
しかしその時のなんともいえない快感は僕の中に残り、露出癖みたいなものが芽生えてしまったのです。
その殆どは自分の部屋からのもので、今から考えるとかなり大胆な行為だったと思います。

夢の中で

2011-12-28

おしり叩きが快感に変わっていった小学5年くらいのとき、ある夢を見たのです。
それはクラスの好きな女の子におしりを叩かれる夢でした。
その子は学級委員かなにかで、何かの違反をした罰として、
その子からおしり叩きを宣告され、パンツを下ろしておしりを叩かれる夢でした。
その時、周りにクラスの女の子もいて、みんなじっと僕のオチンチンを「凝視」していました。
笑うでもなく、みんなじっと僕のオチンチンを凝視していた様子を(夢の中ですが)今でも忘れられません。
そのあと目が覚めたときのなんともいえない気持ちは、「M」という快感に目覚め始めたきっかけだったのでしょうか?
もちろんそのころは「SM」とう言葉も知らず、
自分の「おしりを叩かれたい」「オチンチンを見られたい」という感情が、常識はずれの異常なものとして自分自身に認識されていました。
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